2012年05月28日
義援金受け渡し(東北ビーチバレーの現状報告)
報告遅くなりました。
長文ではありますが、今の被災地、今の東北ビーチバレーの現状を解ってもらいたく書きますので、できれば最後までお読み下さい。
そして、今後も引き続き、東北ビーチバレーの完全復活、更には発展を願い、全国の皆さんでサポートしていけたらと思います。
去った、5月19日2泊3日の日程で、被災地宮城県を訪れ、東北ビーチバリヤー応援プロジェクトで集められた義援金の受入先代表として仙台ビーチバレー団体「SVC」さんに、当プロジェクト実行副委員長の浜田武仁氏と共に、義援金を届けてきました。
当初の予定では、震災時の状況、今の現状、今後の展望についてなど、義援金の贈呈を行いながら、全国のプロジェクトに参加した方々の思いを届けに行くだけの予定でしたが、東北メンバーの頑張りで、私たちが訪ずれるのを期に、震災以来のビーチバレー大会を行おう!!という動きがあり、2ヶ月前からビーチの整備、行政との調整、ビーチバレーの道具の手配等を地道に行い、5月20日(日)に震災後初のビーチバレー大会が催され、岩手、宮城、山形、福島県の選手を中心に男女合わせて30チームのメンバーが参加しました。
天候は快晴!
この日に合わせて急に暑くなったと言う事で、まさにビーチバレー日和!
「東北ビーチバレー復活!!」に相応しい日になりました。
参加された皆さんも、久しぶりの海岸でのビーチバレーを存分に笑顔で楽しんでおられました!
しかし、ここに至るまで、どれだけ大変な事があの一年前に起こり、どれだけの苦労を乗り越えこの日に至ったか、、
正直、その苦労は被災していない私がどれだけ理解しようとしても難しいし、簡単に言葉をならべる事などできません。
帰ってきて、伺った先々の震災時の様子を映像で見ました。
それまで、”現実”として実感できなかった、あの3・11から始まった出来事が、映像を見て改めて実際に行った現地の風景とリンクし、どんな凄い事が起きて、どんな形になったのか、どんな生活になったのか、、
現地に伺った事で、現実として実感する事ができました。
そんな状況の中、東北のビーチバレーを復活させようと、前を向き、進みだした東北メンバーは本当に凄いと思います。
SVC会長小山さんはじめ、プロジェクト実行副委員長の堀内琢也、福島の加藤君など、たくさんのメンバーの方々とも、色々話をしてきました。
ビーチバレーを海岸でやり出すにあたり、まずは基本的なビーチバレーが出来る砂浜をみつける事、津波が来ても安全に出来る場所の確保、選手一人一人の心情は勿論のこと、その他に付近の住民の理解というのも、一つの大きな課題になったそうです。
確かに、初日に視察した震災以前まで仙台のプレイヤーがいつも練習していた、名取市閖上地区海岸付近は、見渡す限り津波の影響で何もなく、海が開放されたとしてもなかなかビーチバレーが出来る雰囲気ではありませんでした。
しかし、今回大会を開催した、宮城県湊浜緑地海岸の付近は、地理的に比較的、まだ被害が少ない方で、ビーチの使用許可もいち早くおり、今年の夏にはトライアスロンも開催される予定だそうです。
勿論、津波は来たものの、海岸に到るまでの平坦な道は基本工場地帯で、住宅などは海から近い距離で直ぐ高台の上にあり、海岸に到る道もそれ程津波の被害を感じさせる状況ではありませんでした。
正直、この時期にビーチバレーができる環境があって、ホッとしました。
しかし、岩手県から福島県北側の海岸で、こういった状況でビーチバレーが出来そうな環境はこの場所位しかないそうです。
岩手県から参加した「びーちいっぱ」の方々の震災前の本拠地は、震災の被害が大きかった陸前高田市という事で、岩手県では現状ビーチバレーをする事は厳しいとの事。
福島県の代表選手加藤君は、「拠点としていた福島県相双地区では津波の被害、放射能の不安により全くできません。」言ってました。
なので当面、被災した東北3県の選手は、この湊浜緑地海岸を中心に集まり、東北ビーチバレー完全復活に向け頑張っていくしかないそうです。
それでも、今の時期にこうやってビーチバレーができ、許されそうな場所がこの東北にあるという事が何よりも嬉しく思うと言っていました。
東北全土のビーチバレーの完全復活までは、まだまだ遠い道のりかも知れませんが、今回SVC小山さんはじめ、堀内夫妻、庵原君を中心に、まずは一歩、踏み出した事は間違いなく将来の東北ビーチバレー完全復活への再スタートが切れたと思います。
私は、ビーチバレーはビーチバレーのメンバーでしか手助け出来ない!との思いで、このプロジェクトの声かけを行ってきました。
それと同じく、地元のビーチバレーは地元のビーチバレーメンバーでしか構築できません。実際にやるのは東北の選手達です。
これからも、継続発展させるには、大変な事もあると思いますが、東北の選手全員の力で乗り越えていって欲しいです。
今後も、東北ビーチバリヤー応援プロジェクトを通して、全国皆で完全復活まで、お互いが出来る範囲でサポートしていければと思います。
近い将来、東北の子供達が、当たり前にビーチバレーという競技を選択できる環境になる様に願っております。
東北ビーチバリヤー応援プロジェクト
実行委員長 田里 学
義援金額(5月19日受け渡し時)
90万(内訳:宮城県50万、岩手県20万、福島県20万)
※宮城県では今回大会で使用しているネット、ボール、テントや、砂浜整備の為の機材(バケツ、鍬他)、それなどをしまう倉庫等で使用しています。岩手県、福島県については現在は保管し、使用できる時期がきたら報告をもらう形としています。
<大会の様子>
宮城県湊浜緑地海岸への歩道
会場風景
朝一選手独自でコート整備を行っていました
《開会式の模様》
参加者全員で、黙祷から行いました。
SVC会長の小山氏の挨拶
義援金の受け渡し
ビーチバレーネットの授与を浜田武仁から
大会の運営責任者も行っていたプロジェクト実行副委員長の堀内琢也。
注意事項では、もし津波が起きた場合の避難場所の確認、
放射線量が気になる方は、線量計を持っているので確認しに来て下さいと声かけを行っていました。
左は、SVCとも振興が深い、伊藤さん。神奈川からこの日の為に駆けつけてくれました。
再び全員でコート整備
参加者全員で記念撮影
試合の様子はまた!
長文ではありますが、今の被災地、今の東北ビーチバレーの現状を解ってもらいたく書きますので、できれば最後までお読み下さい。
そして、今後も引き続き、東北ビーチバレーの完全復活、更には発展を願い、全国の皆さんでサポートしていけたらと思います。
去った、5月19日2泊3日の日程で、被災地宮城県を訪れ、東北ビーチバリヤー応援プロジェクトで集められた義援金の受入先代表として仙台ビーチバレー団体「SVC」さんに、当プロジェクト実行副委員長の浜田武仁氏と共に、義援金を届けてきました。
当初の予定では、震災時の状況、今の現状、今後の展望についてなど、義援金の贈呈を行いながら、全国のプロジェクトに参加した方々の思いを届けに行くだけの予定でしたが、東北メンバーの頑張りで、私たちが訪ずれるのを期に、震災以来のビーチバレー大会を行おう!!という動きがあり、2ヶ月前からビーチの整備、行政との調整、ビーチバレーの道具の手配等を地道に行い、5月20日(日)に震災後初のビーチバレー大会が催され、岩手、宮城、山形、福島県の選手を中心に男女合わせて30チームのメンバーが参加しました。
天候は快晴!
この日に合わせて急に暑くなったと言う事で、まさにビーチバレー日和!
「東北ビーチバレー復活!!」に相応しい日になりました。
参加された皆さんも、久しぶりの海岸でのビーチバレーを存分に笑顔で楽しんでおられました!
しかし、ここに至るまで、どれだけ大変な事があの一年前に起こり、どれだけの苦労を乗り越えこの日に至ったか、、
正直、その苦労は被災していない私がどれだけ理解しようとしても難しいし、簡単に言葉をならべる事などできません。
帰ってきて、伺った先々の震災時の様子を映像で見ました。
それまで、”現実”として実感できなかった、あの3・11から始まった出来事が、映像を見て改めて実際に行った現地の風景とリンクし、どんな凄い事が起きて、どんな形になったのか、どんな生活になったのか、、
現地に伺った事で、現実として実感する事ができました。
そんな状況の中、東北のビーチバレーを復活させようと、前を向き、進みだした東北メンバーは本当に凄いと思います。
SVC会長小山さんはじめ、プロジェクト実行副委員長の堀内琢也、福島の加藤君など、たくさんのメンバーの方々とも、色々話をしてきました。
ビーチバレーを海岸でやり出すにあたり、まずは基本的なビーチバレーが出来る砂浜をみつける事、津波が来ても安全に出来る場所の確保、選手一人一人の心情は勿論のこと、その他に付近の住民の理解というのも、一つの大きな課題になったそうです。
確かに、初日に視察した震災以前まで仙台のプレイヤーがいつも練習していた、名取市閖上地区海岸付近は、見渡す限り津波の影響で何もなく、海が開放されたとしてもなかなかビーチバレーが出来る雰囲気ではありませんでした。
しかし、今回大会を開催した、宮城県湊浜緑地海岸の付近は、地理的に比較的、まだ被害が少ない方で、ビーチの使用許可もいち早くおり、今年の夏にはトライアスロンも開催される予定だそうです。
勿論、津波は来たものの、海岸に到るまでの平坦な道は基本工場地帯で、住宅などは海から近い距離で直ぐ高台の上にあり、海岸に到る道もそれ程津波の被害を感じさせる状況ではありませんでした。
正直、この時期にビーチバレーができる環境があって、ホッとしました。
しかし、岩手県から福島県北側の海岸で、こういった状況でビーチバレーが出来そうな環境はこの場所位しかないそうです。
岩手県から参加した「びーちいっぱ」の方々の震災前の本拠地は、震災の被害が大きかった陸前高田市という事で、岩手県では現状ビーチバレーをする事は厳しいとの事。
福島県の代表選手加藤君は、「拠点としていた福島県相双地区では津波の被害、放射能の不安により全くできません。」言ってました。
なので当面、被災した東北3県の選手は、この湊浜緑地海岸を中心に集まり、東北ビーチバレー完全復活に向け頑張っていくしかないそうです。
それでも、今の時期にこうやってビーチバレーができ、許されそうな場所がこの東北にあるという事が何よりも嬉しく思うと言っていました。
東北全土のビーチバレーの完全復活までは、まだまだ遠い道のりかも知れませんが、今回SVC小山さんはじめ、堀内夫妻、庵原君を中心に、まずは一歩、踏み出した事は間違いなく将来の東北ビーチバレー完全復活への再スタートが切れたと思います。
私は、ビーチバレーはビーチバレーのメンバーでしか手助け出来ない!との思いで、このプロジェクトの声かけを行ってきました。
それと同じく、地元のビーチバレーは地元のビーチバレーメンバーでしか構築できません。実際にやるのは東北の選手達です。
これからも、継続発展させるには、大変な事もあると思いますが、東北の選手全員の力で乗り越えていって欲しいです。
今後も、東北ビーチバリヤー応援プロジェクトを通して、全国皆で完全復活まで、お互いが出来る範囲でサポートしていければと思います。
近い将来、東北の子供達が、当たり前にビーチバレーという競技を選択できる環境になる様に願っております。
東北ビーチバリヤー応援プロジェクト
実行委員長 田里 学
義援金額(5月19日受け渡し時)
90万(内訳:宮城県50万、岩手県20万、福島県20万)
※宮城県では今回大会で使用しているネット、ボール、テントや、砂浜整備の為の機材(バケツ、鍬他)、それなどをしまう倉庫等で使用しています。岩手県、福島県については現在は保管し、使用できる時期がきたら報告をもらう形としています。
<大会の様子>
宮城県湊浜緑地海岸への歩道
会場風景
朝一選手独自でコート整備を行っていました
《開会式の模様》
参加者全員で、黙祷から行いました。
SVC会長の小山氏の挨拶
義援金の受け渡し
ビーチバレーネットの授与を浜田武仁から
大会の運営責任者も行っていたプロジェクト実行副委員長の堀内琢也。
注意事項では、もし津波が起きた場合の避難場所の確認、
放射線量が気になる方は、線量計を持っているので確認しに来て下さいと声かけを行っていました。
左は、SVCとも振興が深い、伊藤さん。神奈川からこの日の為に駆けつけてくれました。
再び全員でコート整備
参加者全員で記念撮影
試合の様子はまた!
Posted by ga-ku at 08:03│Comments(0)
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